ソルフェージュの意味

入試の季節です。

昨今、音楽大学は入試にソルフェージュが課せられなくなってきました。
というと語弊があるかもしれませんが、一般入試を避け、総合型選抜を使うとソルフェージュはかなり削減されていきます。

ソルフェージュというものは、受験のために始める、というイメージが強いものです。
それが、受験にすら必要なくなってきました。
受験生は何のためにソルフェージュを勉強しているのか、モチベーションが上がらない状況かもしれません。

ソルフェージュを「音を取る練習」として考えていると、こういう風に感じるのは仕方のないところです。
楽器が音を出してくれるし、歌だったとしても音源を聴いてピアノを弾いて音を刷り込むように聴けば音は取れるようになります。
そしてそのやり方でも音楽経験を積むことは出来て、音楽的なアイデアも経験に応じて出てくるようになります。

ですが、こうした方法では本来使わなくても良い部分に膨大な勉強時間がかかります。

西洋音楽、クラシック音楽をしようと思った時に「ソルフェージュが苦手」というのは、日本人だけど日本語の読み書きが苦手、と言っているのと同じです。
何かを勉強しようと思った時に本が読めず、誰かが読んでくれないと文章が理解できない。読んでもらっても理解できたか怪しい。これでは勉強の効率はなかなか上がりません。

さらに、絶対音感がないのに「絶対音感を頼りにする」かのようにソルフェージュを勉強していても、その努力に意味を見出すのは難しくなります。そして絶対音感がある人も「出来ちゃう」のに訓練することに意味を見出せません。

ですが、ソルフェージュは勉強の速度を上げるのと同時に、音楽の解像度を上げるためのものでもあります。
「音楽を読む」の初歩はソルフェージュにあります。ただ、それは「表面的な音高を取るための練習」ではなく、「相対的に音を読み、感じ、意味を見出せるようになること」にあります。

音を相対的に見ることをしていなかった人が、音大に入って突然和声の授業を受けても理解するのは大変です。
大学院に入って、論文のために楽曲分析を!と思っても何から始めていいのかわかりません。

海外と比べて日本の音大生は理論に弱いと言われますが、それは相対的に音を読むことをしていなかったからです。
それが相対音感の弱さにも直結しているように思います。

相対的に音を読む方法はいつからでも学べますし、音楽を助けてくれます。
そして、レッスンを通して生徒と指導者が「相対的に音を認識できているかどうか確認しあう」ために、階名は一番簡単な方法です。MUSISMのソルフェージュでは、誰もが当たり前に階名というツールを使えることを目指して頑張ります。